一応ぼちぼち続けるつもりでタイトルに項番を振った。
もうひと月ほど前、3月6日にシモーヌ・ヴェイユについてのトーク・セッションをオンラインで観覧したのだが、これがよくわからなかった。わからないならわからないで黙っていればよいのだが、ヴェイユについては以前もトライして読み切れなかったということがある。わからないなりにわかろうとする努力を以後断続的に綴ろうと思う。いかにもブログ的な話ではないか。
シモーヌ・ヴェイユ、今村純子訳『神を待ちのぞむ』河出書房新社 刊行記念トーク・ セッション
https://www.kawade.co.jp/news/2021/03/36.html
ヴェイユ研究者でヴェイユについての著作や翻訳を手がけている今村純子氏[*1]と、交流がある映像作家の江畠香希氏[*2]が登壇。当日メモを取りながら聞いていたが、局所的に、あるいはフレーズとして刺さってくる言葉はいろいろありつつも大局としてはやはり「わからない」。
とりあえずわからないときに賢しらぶって取りがちな論法は避けることとする。すなわち:
- 「これは詩だ」のように視点・論点をずらす
- ヴェイユの工場労働などに拘泥して過度に伝記的事実に還元する
- メタに持ち込む
- 俗流心理分析
そのうえでなお何か言いうることがあるかというと、今のところ「ない」。ないなら黙れということなのだが、わかりたいという意志を殺さない程度にブログを書くくらい大したことではない。
ひとまず今村氏編訳の『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(河出文庫, 2018)を読みながら、今村氏の論文をいくつか[*3]を読んでいる。地味に継続したい。
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*1 今村純子@researchmap https://researchmap.jp/junkoimamu
*2 映像作家 江畠香希 公式サイト https://www.kokifilms.com/
*3 今村純子. (2000). シモーヌ・ヴェイユにおける美と神秘 感性による必然性への同意. 宗教哲学研究, 17, 58-69. 他