*個人的な振り返りのための要約とメモです。問題がありましたらご指摘ください。
3月20日、「情動」論オンライン研究会に参加。門外漢ではあるが講演者の専門に関心があった。著書を読むなどアクションを起こしたいが、ひとまずメモだけ。
講演者は源河亨氏で「音楽美学と感情の哲学」というテーマである。近著『感情の哲学入門講義』『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』など。
同質の原理 Iso-Principle の検討から始める。これは音楽療法では基本的な考え方で、「悲しいときには『悲しい曲』を聴く方が良い」というものである。しかし、それはなぜなのか。どのような仕組みなのか。講演者はこの音楽自体の悲しみという考え方を、個人の嗜好や音楽に付随するものとの連合関係から比較的独立したものと仮定して、分析的に検討する。そもそも「悲しい」という形容詞が「音楽」という名詞を修飾するとはどういうことなのか。音楽が悲しみを「持つ」ということだろうか。この形容詞が比喩であるとして、あえて感情を表す語を比喩として用いるのはなぜなのか。このように迂遠とも思われるような分析的な手続きを踏んで講演者は考察を深めていく。
同質の原理を支持すると考えられるいくつかの説を批判的に検討する。音楽が聴き手の感情を喚起するという喚起説によれば、「悲しい音楽」は聴き手に対応する感情(悲しさ)を喚起する力を持っている。しかし哲学や美学ではほとんど支持されていない。感情認識と自分の感情は独立であり、音楽の感情を認識するために同じ感情になる必要はない。また、悲しみを感じる場面を「(大事なものの)喪失」と定義すると、音楽聴取の経験にはその喪失の対象がない。講演者は「悲しい音楽」を聴いても聴き手に悲しみは生まれない、と結論する。喚起説は素朴な常識に合致する説であるが、講演者はこれを批判する。
行動との類似説によって同質の原理を支持する議論に対しては、「悲しい音楽」の特徴を簡潔に定義してそれが悲しい人の行動と類似した特徴を持っているという整理をしたうえで、しかし類似という認識は任意の対象との間で成り立ちうるのだから、ことさら音楽と感情の類似性に焦点を当てるのはどうか、と批判する。また、人間は社会的存在であり、感情表現をサインとして他者との協働関係を作っていくものだから、人間は感情のサインを過剰に読み取る傾向にあるとする。したがって「悲しい音楽」を聴くと悲しみが擬人化され、それを通じて他者との連帯感が生じる、というのが同質の原理の説明となるが、上述の通りこの説明にも疑問が残る。
講演者は感情の役割として、自分を取り巻く状況の価値を評価する、という面を指摘する。つまり、感情には対象がある。心の状態には対象があるという志向性の考え方を踏襲し、「悲しんでいるときには悲しまれているものがある」とする。
以上のような議論に対して、質疑では、視覚表象と聴覚表象の差異をどう考えるか、高次の(理性的な)情動と低次の(伝播しやすい)情動のグラデーションや基本感情についての考え方を踏まえると「悲しい」は基本感情ではないか、といった質問が出る。私は初めての参加で前提が踏まえ切れていないのだが、情動/感情は英語では emotion / feeling / affect と分類して定義される。emotion が価値判断や文化背景を踏まえるもので、意識的なものと無意識的なものがある一方、feeling は意識的であり、affect は身体的・生理的・神経的である。この分類は講演者の用語法と一致しておらず、質疑で齟齬が判明した。
オーディエンスから「悲しい音楽」という情意形容詞の使用法について疑問の声があった。「音楽」に「悲しい」という形容詞は不適切では、というものだが、英語で sad song は成立するので日本語での思考に固有の問題点ではないかという反論。感情や情動について言語の水準で突き詰めていくと言語論・文化論的な議論に陥るが、前言語的・身体的な情動へのアプローチの有効性を考慮するべきではないか、という指摘もあり、講演者が依拠する英米・分析系の哲学と大陸・表象系との間のギャップが浮き彫りになった形だった。
講演者が分析的な思考のプロセスを講演を通じて丁寧にシミュレーションするような形ではあったが、率直なところ私はそのように音楽と接していないという感想も持った。また、楽曲のいくつかの特徴を取り上げてその楽曲が「悲しい」ということを定義する場面があったが、そこはさすがに単純化が過ぎるのではないか。音楽の特徴に基づく感情との結び合わせの部分がやはりラフすぎる。あるいは作曲という立場で考えればもっともっとミクロに考えることになるし、また、表出的というよりむしろ操作的、作曲家にとって聴き手の感情は多分にオペレーショナルなのではないか。たとえば音型は反復され、変形される。その都度和声が付き、対旋律が付く。律動の問題もある。そのようにミクロに見ていって、果たしてそれが「悲しい」という感情と結びつくということに果たして何か実効性があるかどうか。ともかく何か書籍を読んでみたい。