普通人デューイ
…どのように経験内容をあらいおとされた論理形式といえども、それを探究する過程もまた生きているという行動の中にあるという見方…(中略)…専門数学者・専門論理学者・専門科学者・専門技術者の仕事を、その支えとしている探求におい… 続きを読む »
…どのように経験内容をあらいおとされた論理形式といえども、それを探究する過程もまた生きているという行動の中にあるという見方…(中略)…専門数学者・専門論理学者・専門科学者・専門技術者の仕事を、その支えとしている探求におい… 続きを読む »
将来的に論文か評論にでもしてみたいと思いつつまとまらないまま忘れていく諸々を少しずつでも書き残しておこうと思い立ったので、雑多かつ粗いものになるだろうがぼちぼち研究ノートを書いていくことにした。 明確な権威の中心がない分… 続きを読む »
ああこの人はいま腹をくくってきたなと感じた時に、それに応えること。利害は人それぞれ。私には私の望みがある。期待がある。それをチームで実現するとはどういうことか。それは他人の決意と意志、行為について、茶化したり逃げたりせず… 続きを読む »
『ロジカル・ディレンマ ゲーデルの生涯と不完全性定理』ジョン・W・ドーソン Jr、村上祐子・塩谷賢訳、新曜社、2006 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455963.html ゲー… 続きを読む »
どこかで読んだが、何か物事を学ぶときにその習熟度は連続的に変化せず、あるタイミングで不連続的に飛躍すると考えた方がよいという。このタイミングが閾値で、その前と後で質的にも変化する。 特に複数の分野やテーマについて勉強する… 続きを読む »