将来的に論文か評論にでもしてみたいと思いつつまとまらないまま忘れていく諸々を少しずつでも書き残しておこうと思い立ったので、雑多かつ粗いものになるだろうがぼちぼち研究ノートを書いていくことにした。
明確な権威の中心がない分散的組織の組織論というイメージを得たのは修士論文を書いていた頃なので2016年である。論文では、官民の中間組織として一般社団法人が設立され、多重的なリーダーシップ等による明確な中心を欠いた分散的組織として当該地域を描出するという方向で取材をしたが、結局理論的な仮説にこだわらずに観察と記述に重きを置き、当初の目的の消化という意味ではやや不満が残るものになった。
ちなみにこの自律分散型という言葉はニュアンスを変えながら様々な文脈で使われる一種のバズワードであるので、気をつけないと誤った連想を働かせてしまう。
分散的組織についての組織論という方向で論考を進めたいと思いつつ、どういうアプローチが可能かが見えないまま手をこまねいていた。その際にひとつの道として見えたのがアナキズムである。2018年頃か。読みやすい竹中労『断影 大杉栄』などをとっかかりに大正期のアナキズムについていくつか読み、派生的にクロポトキンやバクーニンに関心を移していった。ただ個人的には組織論に関心があり、そのイデオロギーの旗印のもとで行われている活動については当初よくわからないところがあった。
国家が存在しないとはどういう状態か、にわかに想像できない。しかし国家は歴史のある時点で成立したものである。あるいは人類学的に考えると、西欧以外の地では国家とは異なる社会の存在が観察できる。古い本で恐縮だが今読んでいる本 [*1] では、「政治的なものが国家の形態を帯びない」ような「人類学者の研究領域」において政治哲学・政治学を導入することによって、生存様式と政治組織の同時代的な比較研究をおこなうとしている。それは当然ながらエキゾチシズムではなく、西欧中心の思考から脱するということである。
西欧における国家の起源については諸々の古典があり、上掲書ではモンテスキュー、ルソー、マルクス、エンゲルス等を中心に政治人類学の先駆者が挙げられている。もちろん近代以前に遡ることもできるだろう。アナキズム自体は、内実について共有部分がどの程度あるかはともかく、タームとしてはわりと流行しており、ブックガイドが出版されるなど [*2] 入り口の整備が進んでいる印象。
とりとめのないかんじになったが、都度都度何かしら書き留めていき、そのうち学会発表なり論文なりにできればと思っている。
*1 バランディエ, G., 『政治人類学』, 1968→1971, 合同出版
*2 田中ひかる編, 『アナキズムを読む <自由>を生きるためのブックガイド』, 2021, 皓星社