市役所に期日前投票をしに行く準備をしていたらテレビに速報が流れた。まだ詳細がわからないうちに投票を済ませた。投票するのが明日以降だったらどうだっただろうか。投票先を変えることはないにせよ、判断を揺るがすような感情が芽生えていたかもしれない。
帰宅したら遊説先から官邸に戻った岸田総理の会見がテレビで中継されており、涙をこらえながら現時点で言いうることだけ手短に述べる様子にもらい泣きしそうになった。この時点でもう生存の見込みがないことがわかっていたのだろう。
とにかく安倍氏に対しては、みな驚くほど自身の感情をあらわにしてきた。最大限の称賛から最大限の罵倒まで、老若男女問わず、右から左まで、ひとりの個人をめぐってあんなにも感情的になれたのは一体何だったのだろうか。
数々の疑惑や不祥事も、どうせ娑婆なんてそんなもんよという我々の諦観(これは良心の裏側に貼り付いている)に親しげに笑いかけてくる。彼はだらしない部分や弱い部分までさらけ出したうえで、誤った、しかしどこかノスタルジックな親しみすら感じさせるような、ネポティズムにおける家父長的振る舞いを見せたと、そのような感傷的な印象を惹起する。
友達を優遇して何が悪い。お気に入りの仲間をゴリ押しして何が悪い。彼らの疑惑や不祥事は、娑婆に対する諦念をいや増しする一方で、同時に、それを悪いことだと糾弾することが冷たい人間の仕事であるかのような、そんなねじれた愛憎を抱かせるものだった。
そしてその過程で狡(こす)い小物が汚いやり口で得をし、社会の倫理観はすり減り、善意の人が命を絶ち、我々はますます彼に対する愛憎をこじらせながら、ときに罵倒し、ときに目を伏せてため息をつく。あるいはときに彼を称賛し、ときに自分もひょっとしたら「ご相伴」に預かれるのではと脂下がる。分断の線はここにある。
そんなことが8年続いた。
彼がこの世を去り、多くの者がなんとなくいいようのない感情の中にいる。しかし、いつか決定的な「事件」が起きて、切断されなければならないものではあったはずだ。それが暴力であるべきだったのかどうかはともかくとして。