日記 2022/07/07

投稿者: | 2022年7月8日

なるべく食べないほうが調子がよい。昔に比べたら驚くほど少食になった。

評価や評判は低いと問題だが、高すぎるのも難しい。ほどほど中庸というあたりがよいが、風評は面白おかしく誇張されるものなのでだいたい上か下かの両極端になる。この日記は一種の抵抗である。

つまり、私は取るに足らないつまらない人間だということを示すためにこの日記を書いている。

村田英雄のCDを中古で落手。最近は古い演歌を聞くようになった。分野は違うが自分も声を出すようになって、発声のレベルで良し悪しが多少聞き取れるようになったのと、あとはこぶしが少しわかりだしたのとで、俄然聞いていて面白いと思うようになった。

演歌はコード進行と旋律で差異を作るものではないので、やはり歌唱と歌詞は切り離せない。そして歌手は歌唱と歌詞のフィクショナルな空間を背負い、舞台で演じるように歌う。大きな歌、小さな歌があり、どのくらいのものを受け入れられるかは人としての度量であろうが、小さな情の歌が悪いという意味ではない。

能の謡曲も基本的には言葉ありきである。節はあるが、言葉を明瞭に謡うことが先だと理解している。発声に気を取られて言葉(役の心情)に入れていない謡はやはりそれなりである。派手なヴィブラートに本質的なものがあるわけではない。まだいろいろとわからないことがある。

『ヘミングウェイ全短編』という書籍があり、現在新潮文庫から3分冊で出版されている。ぼちぼち読んでいて、いま第2分冊を7割ほど読んだところ。

確か大橋健三郎のフォークナー論でヘミングウェイとフォークナーの比較があったような記憶があるが、ぱっとどこだったか出て来ない。後で調べる。

ヘミングウェイ=マチズモの権化でありフェミニズム批評によって徹底的に批判された、と思いこんでいたが、これも出どころは不詳である。

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