ブログに文章を書くのは、以前も書いたが、講演や研究会の経験を受けっぱなしにせずに言語化して少しでも定着するためだ。つまり、よりわかるために、より記憶するために書いている。ブログなど書き飛ばせばいくらでも雑に書けるものだが、他人に読まれうる環境であるということを意識することで「正しく」書くことへの動機が生じる。どうせ忘れていくにしても、これをするとしないとでは大きく違う。
自分がすでに答えを知っている(と思っている)質問ばかりを繰り返す人がいて、案外そういう人間が知的であると思われたりするのだろうし、答えを知らない質問を繰り返していると馬鹿だと罵られる。答えを知らないからこそ調べるのだし、考えるし、その修練の積み重ねが血肉化した知識や技術へとつながる。だから馬鹿だと罵られようとも答えを知らない質問に取り組まなければならないが、そういうみっともないプロセスは年齢を重ねるにつれて取り組みづらくなる。そういうみっともなさをあえてブログで晒すのだという覚悟もある。せめて正しい姿勢で取り組まなければ本当にただ見苦しいだけになる。
つまりこのブログは「すでに知っていること」をアピールするために書いているわけではなく、答えを知らない問題への取り組みの過程そのものとしての言語化作業が記されているということである。それはどうせみっともないことなのだから、せめて正しくあろうと志す。