3月17日、オンライン研究会「レイシズムとの対峙と抵抗――複合的・交差的な視点から」を聴講した。若手社会学研究者3名の発表があり、それぞれ未発表稿とのことなので内容にあまり触れないように感想をメモしておく。
発表者は発表順に Chung Kangryol 氏、清藤春香氏、Aruga Yu-Anis 氏の三名。それぞれに対して下地ローレンス吉孝氏がコメントを付す。司会進行はケイン樹里安氏。関係者の氏名を記すだけですでに正確なスペリングへの配慮やアルファベット/仮名の間での揺れなどが生じる。
発表者各位の専門をキーワード的に列挙すると、「移民」「発達障害」「国際移動」「混血」「国籍」「ハーフ」などである。また、前提的な要因として「ジェンダー」「階級」「人種」等が考慮される。
会のタイトルにあるように、研究対象をひとつの因子に還元するのではなく、複数の因子が織りなす重層的な構造に対してアプローチするという方法を用いる点が Chung Kangryol 氏と清藤春香氏の共通点だった。交差性(intersectionality)の考え方に基づいて対象を図式化することによって、反差別の実践が運動自体の内部で抑圧の構造を生んでいることを示した研究があった。それに対して下地ローレンス吉孝氏やオーディエンスから厳しいコメントが飛ぶなど、刺激的なコミュニケーションが交わされた。
たとえばある現象について、意図せざる帰結がもたらされた「ねじれ」であるとした研究に対して、 intersectionality が折り重なって作用しているのであって当然の帰結であると考えることができるのではないかなどのコメントが付される。
複数の概念的な集合の間を考えること、そしてその中間的な領域においてなお差異が包摂されている。制度的な関与の必要性と、個別のケースに当たるしかない現実的要請とがせめぎあう。さらに、分析において概念として提示したものの定義自体が非常に危ういということも起こりうる。曖昧さを温存したまま議論を進めてしまうことも起こりうる。概念的な分析に急ぎ過ぎずに実証的研究の結果を待つことも必要、など、研究の方法論についてもためになる話がいろいろと伺えてよかった。
複合的な構造に対する主体性をどう考えるかという議論もあった。エージェンシー論にしても、アマルティア・センのものとギデンズのものは異なる。主体と構造は相互に規定しあうものとして、単純化を避けつつ議論するにはどうすればよいか。他のドメインの研究を参照するのも一つである。
エスノメソドロジーの方法を用いてSNS(Twitter)でのレイシズムに関する投稿を分析した研究があったが、やはりTwitterをデータとして扱うのはいろいろと難しそうだなと思った。その研究者は、元来社会学においてデータ収集やインフォーマントへの接触は難しいものであり、その点を考えるとTwitterはデータとして社会学的に重要視せざるを得ないという見解だった。
意図と結果が「ねじれる」。これは主体性の実践が構造的なものによって干渉された結果である、とも言えるだろうか。そして、その構造的なものは複合的なインターセクショナリティによって分析されるべきものである。そのような点が確認できた、非常に熱のある研究会だった。