私はクラシック音楽に詳しいというわけではないので、当たり前のようなことを改めて辞書で調べたりする。そういうメモも少し残すようにしていく。
辞書* によると、リートについてはシューベルトによるロマン派リートをひとつの結節点として、そこに流れ込む水脈とそこから流れ出る水脈とを考えることができる。
* 『新編音楽中辞典』, 音楽之友社, 2002
元来リートは社交目的で、のちには教育・啓蒙目的で、簡単な伴奏に合わせて誰もが歌えるようなものだったのが、やがて18世紀末になると詩の内容や情緒の表現のために伴奏の役割が追及された。
シューベルト晩年、1828年(31歳か)に書かれたリート。シューベルトの死後に出版された歌曲集『白鳥の歌』の一篇「Der Doppelgänger」。
https://en.wikipedia.org/wiki/Der_Doppelg%C3%A4nger
再び辞書によると、この頃のシューベルトは「みずからの作曲語法に対位法技術が不足していることを痛感し、理論の大家ジーモン・ゼヒターの門をたたくが、実際のレッスンを受けることもなく31年の短い生涯を閉じた」〔上掲書「シューベルト」より〕。
シューベルトに対位法が足りないかどうかを検証できるほどの知識はないし、我流の暴論を吹かして悦に入るようではSNSと変わらないので控えるが、上掲書「リート」の項でシューベルト以降の芸術リートの伝統を20世紀に受け継いでいるとして名前が挙がるヒンデミットとロイターのリートを聴いてみるとなるほどと思う。
ヘルマン・ロイターは20世紀に作曲家、リートの伴奏家として活躍した。
歌唱の旋律に寄り添って、同度での順行を大胆に用いながら少ない声部で疎らに移ろい、最小限の和声を付ける。ピアノが歌唱をわずかに先導しながら展開するのだが、ここで詩が役割を果たすのがリート的ということだろうか。まあこれもいい加減なことを吹聴せずに地道に理論の勉強をするところであろう。