[読書]『弁証法的想像力』- 1

投稿者: | 2020年8月1日

弁証法的想像力:みすず書房

わりとボリュームがあってまだ読み終えていないが、ちょっとメモ書きしておく。

ワイマール(ヴァイマル)共和政期にドイツで設立された「社会研究所」あるいはそこに集った研究者を総称した「フランクフルト学派」について、特に1923年から1950年の期間に重点を置いて記述されている。以前細見和之『フランクフルト学派』(中公新書、2014)を読んだが、そちらが戦後~第二世代までフォローしているのに対して本書は第二次世界大戦後にアメリカからドイツへ研究所が戻るあたりまで、ただし思想的な概観をそれなりに深く読み込んでいく筆致で、さながらフランクフルト学派の総括である。これから読む後半も面白そうだ。

弁証法的とはつまり否定性を介した絶えざる運動であり、「それゆえ、『批判的理論』を完結的体系のようにとらえることは、その本質的に非完結的で、探索的で、終わりのない性格をゆがめることに」[p.57]なる(「批判的理論」は本書での訳。広く「批判理論」と呼ばれるもの)。プロレタリアートは否定性であり、それゆえに革命的であるはずだった。しかし社会研究所が活動した1930年代にはプロレタリアートの社会への統合が進み、革命的労働者階級が弱体化することによって批判理論の立場は否応なく「超越」的な性格を帯びた。また、この時期には進行中だったスターリン主義との距離感も問われた。そして1933年にヒトラー政権が成立し、ワイマール文化の興隆期の終わりとともに社会研究所は国外へ、そしてアメリカへと活動の場を移していった。

彼らは全体性を僭称した静寂主義(キエティスム)の危険性から主観性と個人性を救おうとするが、他方「生の哲学者たち」は主観性と内面性を強調しすぎたとする。このあたり、様々な立場に対して批判理論が生成していく過程は読みごたえがある。特殊と普遍、「モメント」と全体性の絶えざる相互作用、つまり相対立する諸項の間で弁証法的な力の場を考えること、したがって対立する二項の間で「あえてつねに判断留保の状態で」[p.73]あることこそが重要である。文化現象はこのような否定性の勢力を含む社会的な諸矛盾の表現であり、それは(俗流マルクス主義が言うような)下部構造への上部構造の還元主義ではとらえられない。そのほか、実証的アプローチとの距離感や、プラグマティズムとの関係など、議論の範囲は広い。

資本主義が自由主義的なレッセ・フェールから独占資本主義、さらには国家資本主義へと進展していくなか、理論とプラクシスの弁証法的関係における理論的な革新を、とらわれのない立場から追及したのが社会研究所であった。きちんと読了したい。

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