読書メモ。
前半は譜例も交えて、『オジーヴ』(1886)→『サラバンド』(1887)→『ジムノペディ』(1888)→『グノシエンヌ』(1889~91)と年を追っての作品の構造的な変遷をたどる。音楽学者かつ音楽評論家の著者だけあり、いちいち評言が気が利いていておもしろい。たとえば『オジーヴ』のスタイルについて、
「『オジーヴ』のスタイルは単旋聖歌 [グレゴリオ聖歌その他の単旋律聖歌を指す] の模倣ではない。模倣ではなくて、評釈なのである。」[p.21]
線的なポリフォニーであり、「厳密な幾何学」である、とする。つまり、静的な構築、いわば「建築」的である。対して一年後の『サラバンド』では、反対に「運動」が探求されている。完全和音に加えて、長七、短七、属九の和音が頻出し、「和声的な情感の自由さ」が感じられるが、作曲自体は「形式主義」的である。
『ジムノペディ』では、それまでの自身の作品を規定していた「厳密な垂直性」に対して、「旋律によって打ち立てられる調性の感覚」[p.29] を形式の主調とする。そして『グノシエンヌ』では、瞑想的な反復のリズムと、古風なほとんど即興演奏のような構成感の薄さを持つ旋法的表現によって、特異な情感を表している。著者は1889年にサティが見たルーマニアの器楽合奏団からの影響も指摘する。
「小節線はない。たとえあったとしても、それは低音部の厳密に等しいリズムをただいたずらに確認するにすぎないだろう。下部構造は短三和音でがっちりと組まれているが、旋律は一見即興風で、順次進行的な足踏みを経て、変化音を含む跳躍進行的な音程のおずおずした探究に至る。増2度や減5度の多様、装飾的な胸を抉るようなメロディ、すこしもピアノ曲らしくない転過音の使用(声楽かヴァイオリンのポルタンドを不器用にピアノに当て嵌めたようにみえる)がこの異様な作品にどことなく「東洋的な」性格を与えている。」[p.31]
その後のサティの生涯は、世間の毀誉褒貶にさらされながら、ドビュッシーとの愛憎なかばする複雑な仲やコクトーとの関係などに彩られてなんとなく騒がしい。
1917年に『ソクラテス』という「オーケストラ伴奏付きの歌曲」を創作する。「話し言葉のアーティキュレーションで抒情的な朗読にリズムを付け」、語りと歌を一致させるという声楽の書法を試みている。つまり、「あまり拡がりのない旋律的音程はテキストのアーティキュレーションに、韻律法はテキストの旋律的リズムに則っている。句の切れ目ごとに、和声が緩み、声が湾曲する。……文章の句読点のそれぞれにカデンツと叙唱の区切りが対応している。」[p.137] 声はテキストの「しもべ」であり、楽器は声の背後に整列する。表現性やイメージ喚起性はむしろ抑制され、ソクラテスに仮託された禁欲的生のイメージが表現されている。
この本を読んだタイミングでピアノ曲を中心に聴きなおしたが、昔聴いた時にはあまりピンとこなかったものも含め、とてもよい。
意図的な作曲手法が資料等から導き出しにくいところから、「これは直観的な発見であり、未熟な作曲家の大胆さなのだ。鍵盤の上に指をさまよわせて、あえて得体のしれない集合音を叩き出し、その甘美なハーモニーを顫わせることに悦びを見出しているのだ」[p.27] と考えられる傾向があったとしつつ、著者はあらためてその構造的特徴を簡潔に記述している。
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『エリック・サティ』アンヌ・レエ, 村松潔 訳, 白水社, 1974→1985/2004