菊池寛三昧

投稿者: | 2018年12月16日

2018年12月16日(日)、菊池寛記念館のあるサンクリスタル高松3F視聴覚ホールにて特別講演会「菊池寛の人と文業」。講師は片山宏行氏(青山学院大学文学部教授)。開演までの時間つぶしで菊池寛記念館内の展示を見て回る。芥川賞・直木賞の歴代受賞者の顔パネルが全員分並んでいるというなかなか壮観な景色あり。これは好きな人なら気合入るだろう。

講演は、終戦後に戦争協力の罪によって公職追放された菊池寛が単に戦時中に「変節」したとみなすのではなく、戦時中の発言を丁寧に追うことで、「右でも左でもないリベラリスト」が懐柔され、立ち位置を見失う様子を検証する。戦前、文学を目的化・手段化するプロレタリア文学を批判しつつも、左翼思想の理想主義には一定の共感を示していた菊池寛が、治安維持法以降の「左側」の不在の状況下で、中道・リベラリストとしての自分の立ち位置を適切に定められなかったと指摘。とはいえ、戦時中に翼賛的なアジテーションを書きつける一方で、情的な民族主義と理性的な国政を調和させる方法として立憲制の下での穏便な共産主義に言及するテクストもあるなど、そう単純ではない。

講演後、同4Fにて企画展「菊池寛記念館 第27回文学展 菊池寛をふりかえる」。貴重な原稿や出版物の展示のほか、菊池家所蔵の古文書(現在解読中のものも含む)。ギャラリートークに参加したら、ちょうど居合わせた大学教員の方が丁寧に解説してくださった。

「寛の先祖は代々高松藩の藩儒で、後藤芝山や平賀源内らを育てた菊池黄山や、幕末に漢詩人として名を馳せた菊池五山等、優れた儒学者を輩出しています。」
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/bungakuten/27.html

そのような家系や家の資産にも、菊池寛自身当然影響されているだろうという。

「文藝春秋」創刊の逸話や、文壇での活躍など、もっと取り上げられてしかるべき人であるようにも思うが、やはり「戦争協力」「公職追放」という晩年が影を落としているのだろうか。そうだとすれば、それが単なる「変節」ではない、と丹念な考証で検証している作業の結果、改めて光が当てなおされることもあるのかもしれない。私秘的なものになりがちな文学という営みを社会に対して開くこと、文学者の生活を安定させるためのいろいろな施策、文学賞という形での積極的な顕彰など、大局を見通したその活動についてもっと知りたいと思った。

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