メモだけ。
『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』竹中労、ちくま文庫、1992
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480026392/
竹中労の文体というか文章はやや苦手なのだが、本書は読まされた。対象に対する執着と熱意が充満し、みっちり密度の濃い文章である。情報量と一言で切って捨てるわけにはいかないのがこの文自体の醸す密度である。密度というのは感覚的な表現であり、稠密さといってもよい。それは黙読という行為を通じて、ねっとりというかみっちりというか、この n とか m の粘り気であるなにものかとして訪れる。これに圧される。
解説で橋本治が正しく要約しているように、「アラカン」という対象は翻っていえばある若き時代の表象であり、それは当然活動写真の青春であり、敷衍していうと日本という国家の青春期である。特定の対象に拘泥して徹底的に描ききることが、時代を示し、それと対峙する現在時の自身を逆照する。本編終了後に付されたアラカンフィルモグラフィーが圧巻である。曰く、批評家からチャンバラと軽視され、社史に記録されず、証言する当事者たちが老いてゆくなか、当時の映画雑誌を徹底的に洗って作りあげた資料である。時代の流れの片隅で記録されることなく朽ちていく物事に対するこの一種執拗なまなざしこそ竹中労の美徳であろうが、同時にそれゆえに文章が稠密になり、ねっとり、みっちりとしてくる。しかし、これは読ませるのだ。