『あっけらかんの国 キューバ』

投稿者: | 2020年11月8日

読書メモ。

『あっけらかんの国 キューバ 革命と宗教のあいだを旅して』越川芳明、猿江商會、2016
http://saruebooks.com/item/book_04.html

いわゆる国際社会における政治経済の事件の舞台としてのキューバではなく、市井の暮らしを描きたい。それもエリート層ではなく庶民、さらに言えば社会の周縁、すなわちかつての黒人奴隷の末裔の視点からキューバを描く。これが筆者の意図するところである。

黒人信仰「サンテリア」の調査を通じて司祭(ババラウォ)になったという。文化人類学や宗教学が専門というわけではないが、現地に足を運んで参与的に観察するような調査を行いたいという思いから、「自らも内側に入りこむような危うい道」[p.11] をとった。しかし、ともすれば「文化的な覗き見」[p.154] を犯してしまう。その点はエピソードとして失敗談も述べつつ、筆者は過剰に反省したり恐縮したりしない。エビの天ぷらを作るために非正規のルートで冷凍エビを買ってきたが、いざという段になってサラダオイルを買い忘れたことに気づいたとか、そういうたわいもないエピソードから、外部の人間である筆者がそれこそあっけらかんとした表情でキューバを歩き回っているような印象である。タイトルの通り、まさに旅をしているという感覚だろう。

新聞連載がもとになっているため、ワンテーマずつの短い独立した章節が基本である。上述の通り、庶民感覚としてのキューバを描く。先日読んだ『ハバナ零年』が冷戦終結後の経済危機の時期を背景にしていたのに対して、こちらはオバマ政権による「関与政策」が始まったころにかかる時期の話である。外に対して開かれつつあり、スマートフォンやパソコンからは国外の情報も得られる。しかし、むしろ情報統制されているのは国内情勢についてだろうという指摘がある。

庶民感覚を量るためのひとつの有効な尺度が金銭である。本書でもしばしば、物やサービスの金額が細かく書き込まれ、筆者はそれに対して違和感を持ったり納得したりしている。キューバ人の平均的な所得水準を基準にして物価が実際にどの程度であるのかを考える。しかしそれはそれとして、自分は高価な非正規ルートのエビを買う。ここに違和感がないのは、あくまでも筆者は参与観察的に滞在している外部者であることに変りがなく、旅人であるという自覚があるからであろう。実際、キューバ人であるかのように振る舞うなどというのは傲慢なことであり、調べるほどに差異が際立っていくとしたら、むしろ徹底的に他者であり続けなければならないのではないか。これが社会学者や文化人類学者であればまた違うのだろうか。

このような他者としての立ち位置は、時として筆者にわきの甘い行動をとらせてしまいもする。黒人信仰の儀式でトランス状態に入っている様子を録画しようとして怒られている。[p.145] また、配給物資と通常の給料だけで生活が回らないキューバ人が個人で小商いに取り組んでいるという話題に触れてから売春行為についての話に入るが、それについて規範めいたことは語らない。むしろかつてハバナはカリブのパリと呼ばれ、観光客と娼婦で賑やかであった、と懐かしむように取れる引用をしていたりもする。やや不思議にも思える感覚だが、あっけらかんとしているのはキューバなのか、あるいはむしろ筆者なのか。

ドライな文章として特に違和感なく読めば読めてしまうのだが、ふとなにかが抜け落ちているような感覚になる瞬間がある。しかし、それも含めて一種の文学的なドキュメンタリーとして練り上げられたものなのだろう。ちなみに筆者の専門は現代アメリカ文学である。

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