『公安警察の手口』鈴木邦男、ちくま新書、2004
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061980/
2004年の著作なので約20年後の現在においてどうなのかはわからないところもあるが、この時点で公安の内実について体験と調査を交えて描出したルポルタージュ。著者自身が公安にたびたびガサ入れされ、別件逮捕、ひっかけ逮捕、尾行、張り込みなどあらゆる方法で公安の干渉を受けてきたが、そういう立場からしか描けない生々しい肉薄する感覚に埋没せず、客観性を担保しながら公安の側の論理もしっかり拾っていくところが独自性と言える。結果としてアイロニーのスパイスがきつく利いた小気味よくもどこか薄ら寒い読み物となっている。
公安の存在はその監視対象である左翼や右翼の存在と切り離せない。しかし執筆時点で左翼も右翼もかつてほどの勢力はなく、過激な事件の兆候はすでにない。しかし、それでも公安は存在意義を見出して、ブラックリスト入りした対象を延々と監視し続ける。このある種の空回りを孕んだ関係を筆者は〈共存関係〉とまで言う。
インターネットがインフラとなり、監視カメラの存在が当たり前のようになった今日、むしろ監視されているがゆえに安心である、とさえ感じる感覚が汎くある。著者は2023年1月11日に亡くなった。
左翼は既に勢いはなく、暴力革命を謳う党派は実質的にほとんどない。では右翼はどうか。右翼は「潜在右翼」化しているという。普段は一般市民としてなんらの兆候もなく生活している者が傍目には唐突に見えるやり方で突然テロ行為に走る。この「潜在右翼」を公安がどうやって取り締まろうとしているか。その滑稽さと非合理性を通じて、いったい公安とはなにかという本質が見える。
引用。「つまり、公安のやり方は根本的に間違っているのだ。表に出て合法的に運動している人間を徹底的に弾圧して、監視している。「合法運動はやめろ!」と脅しているようなものだ。一方、市民社会に潜んでいる、過激な人間に対してはどうかといえば、何の手も打てない。無力だ。そんな人たちは、公安の監視もなく、自由に生きている。今の公安のやり方だと、「合法運動を潰し」「非合法運動を奨励、誘発する」という結果にしかならない。」[p.200]
アイロニーと書いた。しかし著者の思いは意外なほど真摯である。公安、そしてそこで働く愛国的で優秀な人材を、どうにか活かす道はないのか。今こそ公安についての開かれた議論が必要ではないのか。そういう率直な熱意が結論として述べられている。傾聴すべきである。