日記はやめるがジャズ感想についてはなるべく続けようと思う。ただ同じことを続けても成長がないので、なぐり書きせずに少し深みのあることを書いてみたい。リンクがWikipediaばかりになったのは反省点。敬称略。
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菊地雅晃(B,Modular Synthesizer,作曲)、坪口昌恭(ハーモニカ、Key)、堀米 綾(Harp)、外山 明(Ds)。PIT INNのステージにハープが載っている光景からして面白い。ハープの音量や音質の影響で全体的に弱音のセッションになったともいえるか。
バンドリーダーは菊地雅晃。ピアニストの菊地雅章の甥で、共演歴もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E5%9C%B0%E9%9B%85%E6%99%83
冒頭に「自分たちについてわかってもらうのは大事なことだと思うようになった」と言って、楽曲のコンセプトを説明した。
一曲目「浮遊次元」は簡単なフォーマットのある即興演奏。メンバーがソロ回ししながら、ソロを取っているメンバーに対して他の奏者が刺激を与えて沈滞させたり盛り上がったりする。合奏協奏曲的という表現をしていた。
コンチェルト・グロッソ(伊: concerto grosso)は、バロック時代に用いられた音楽形式の一つである。トリオ・ソナタのソロ群(コンチェルティーノ concertino)とオーケストラの総奏(リピエーノ ripieno — コンチェルト・グロッソとも呼ぶ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する楽曲のことである。[Wikipedia「コンチェルト・グロッソ」]
簡単でかつ効果的なフォーマットを意図し、譜面でインストラクションはありつつも全体としては自由で、ハプニングも認めるような、そういう楽曲である。間に集団即興も交えながら、外山→堀米→坪口→菊地の順にソロを取る。解説の通り、全体として自由だが、ある種の「合う」場面ではきっちり合うので、そういう構成性と即興性のバランスについてはよく考えられているのだと感じた。あるいはいわゆるジャズ楽曲の「テーマ」に相当するものが、旋律や和声進行で表されないものになっている、ということだろうか。ハーモニカとハープの独特のマリアージュが案外よい音響で意外だった。
即興演奏についてはもうやり尽くされた面もあるが、その上で新しいやり方を模索している。曰く、ジャズ系は盛り上がるか沈滞するかの二択で、音楽的時間がわかりやすい半面、飽きやすい。それに対して、より散漫で、どこが中心かわからない、例えば車窓の風景が過ぎていくような時間を作り出したいと、そのような話だった。
二曲目は「春 part 2」。サイケデリック・ロック的なものをベースに即興演奏する。ベースが7拍のリフを弾き、それに対して各奏者が距離をおいたり近づいたりしながら「散漫な」時間が流れる。ベースがリフを弾くと磁場が発生して、そこに「中心」ができてしまうのではないかとも思うが、ある程度土台的なものがありつつも他の奏者がそこによりかからず、自分の音をキープすることで結果的に程よく中心が分散してたゆたうような(「浮遊」!)時間が現出した。
リフレインというのは文字通り反復だが、反復すればそこに構造なり中心なりが生まれるように思われるので、リフを取り入れながら中心を散漫にするというのは奏者の腕と作曲の次元の妙技ではないだろうか。また、中心が散漫であるということはこの場合「反応」や「対話」が存在しないということではない、というのが面白いところである。各自が自身の音に閉じこもった結果として散漫なのではなく、きちんとソリストやバンドの音に反応し、楽器を持ち替えたりエフェクトを組み替えたりしながら、それでいて中心性に収れんしない。これがどういうことかはよく考えないといけないと思う。
アンコールはアルフォンス・アッセルマンの「泉」を堀米が演奏し、それに他の奏者が即興で合わせていくというもの。サウンド・エフェクトのみならず和声に介入しようとするところもあるなど、面白かったし、何が起ころうともハープを弾き通す堀米のブレなさもよかった。