Wikipediaの「MIDI」のページを眺めていたら末尾に「日本の発明」というカテゴリタグが付されていた。年表によると1981年に「国内外楽器メーカー6社が『MIDI 1.0 Specification』をまとめ」たとある。そういえばRolandもKorgも国内メーカーである。
つい「MIDIの思想」のようなものを考えたくなるのはよくない癖だと思うが、実際メディア論や音楽美学との相性はよいと思う。たとえばGoogle Scholarでmidi musicをキーに検索すると多種多様な論文がヒットする。分類して掘り下げていくのは大変そうだが時間を見つけてやってみたい。しかし思ったより人文サイドからのアプローチは少ないのかもしれない。
もちろんMIDIは一義的には規格であり、各種工学や物理の地道な積み重ねの上にある。あるいはメディア論として構えることなくともこの技術で何ができるかを考えること自体がすでにメディアとしてのMIDIを論じることになる。
そうであるがゆえに、つまり、MIDI自体が音楽演奏という現象を抽象化した体のものであるから、その技術それ自体という層をさらに抽象するようなアート的ポジションは取りにくいのかもしれない。例えばMIDI artでGoogle検索すると出てくるのはMIDIノートでイラストを描くというようなものだ。Jacob CollierがDAWのピアノロールに鍵盤を使って「VOTE」という文字列を入力して見せたあれである(公式動画が見つからなかった)。確かにこれはツールとしてのMIDIという基本的な構えからは遊離しているだろうが、素朴といえば素朴である。
PDFが公開されているMIDI 1.0規格書に、いわば「MIDIとは何か」という情報は網羅されており、それに尽きると言ってしまえばそうである。MIDIとは何か、その思想は、と考えているよりMIDIでどういう音楽を作るか、ツールとしてどう使うかを考える方が健全である。しかしながら、完璧に健全に生きることなどどうせできはしない。
ちなみにMIDI規格は2019年からMIDI 2.0へのアップデートが始まり、2020年2月22日に規格書のヴァージョン1.0が公開されている。リンク先に「MIDI 2.0規格は現行のMIDI 1.0規格の置き換えでは無く、MIDI 1.0機器との共存・共生を基に、さらに拡がっていくMIDIの世界を創るための規格である」との文言がある。後方互換性を保ちながら新しい機能を実装していくといった趣旨のようだが、この後方互換性の保持が音楽制作の場合特に切実な問題であるのはわかる。
だから、やろうと思えば、いくらでも新規格を作ることは可能だったわけですが、「もし新規格ができて、過去のMIDI機器は互換性のない古いもの、となったらどうなのか……」という議論がいつも起こっていたようです。MIDIが誕生して間もない1983年に発売されたDX7、1984年に発売されたJUNO-106、1988年のM1が、ビンテージ機材として尊重され、今も最新の楽器やDAWとともに普通に使われるのが音楽制作の世界。それをうまく残しつつ、新しい時代にマッチした規格を作ろうという意思の元、「MIDI 2.0」が生まれているのです。[https://www.dtmstation.com/archives/23425.html]
この先思いもよらない電子楽器が登場するのかもしれないと楽しみにしつつ、ぼちぼち規格書を読んでみようかと思う。