公益財団法人日仏会館主催のシンポジウム「プルースト―文学と諸芸術―芸術照応の魅惑4」をオンラインで聴講した。昨年日仏会館で開催予定のものが延期となり、会場開催からオンライン開催に変更の上で2021年5月15日、16日の両日開催された。
https://www.mfjtokyo.or.jp/events/symposium/20210515.html
プルーストを軸に、批評、音楽、現代作家、美術、教会/建築、大衆文化の六つの「芸術」との照応関係を様々な方法で明らかにするという趣旨で19の発表が行われた。プルーストについては岩波文庫から出版されている『失われた時を求めて』の個人全訳が2019年に9年越しで完結した吉川一義氏が「シンポジウム学術責任者」として参加されており、タイミングとしては2020年に開催したかったものだろうと思う。
個別の内容については後日書籍として出版予定とのことなので詳述しない。大雑把なメモだけしておくと、やはり『失われた時を求めて』に言及する発表が多く、時間や記憶というテーマに絡めたものが散見されたが、複数の発表で見られた興味深い指摘は19世紀~20世紀の文化史的状況とプルーストの照応関係についての考察である。音楽でいえばドビュッシーが高く評価されることで「今日の音楽」と「昔日の音楽」が鋭く対立せられ、そして趣味の問題として後者が「時代遅れ」とみなされた。具体的にはスコラ・カントルム的な対位法様式の音楽に対して、ドビュッシー的な和声様式に主眼を置く音楽が時代の趣味に合致するとされた。それに対してプルーストは過去と現代の対話・融合というべきスタンスを取る。
この姿勢が明瞭に表れるのは美術においても同様である。アングルという画家をどう扱うか。マネ・印象派との対比で当時の社会文化的状況を含めた構図を解説する発表があった。要約すると、アングルはいったん忘却されたものの、マネが評価される過程で忘却されていた革新性が再評価された。伝統と革新は同一作品の中で共存しうるという主張がプルースト的であり、あるいはいったんは「退屈な紋切り型」「空虚な形態を描くアカデミズム」とされたアングルの絵画がまさに反転するように「形態の美」「知性による形態のデフォルメ」「既存の知識に基づかずに自然と向き合う」等、革新派からの再評価を受けるに至ったという、このような反転について、まさに『失われた時を求めて』はこの伝統と革新の反転を体験する装置であるといえるのではないかということである。
研究者による専門性の高い発表が主だったが、個人的には「現代作家」のセクションで三人の作家が発表した内容も興味深かった。たまたまオンライン開催だったという縁だが参加できてよかった。