近畿労働金庫のエイブル・アートSDGsプロジェクトについて

この活動には、企業メセナを考えるうえでの鍵となる論点がいくつかはっきりした形で表れていると考え、今回レポートのテーマに選択した。具体的にいうと、「障がいとアート」「地域とアート」「企業と地域」といった論点である。

障がいとは一体何だろうか、と昨今問い返されることがしばしばある。社会モデルという考え方に明らかなように、それは既存の「正常」を前提として設計された社会と個人の軋轢である、と考えることもできる。つまり、器質的に「欠損」しているとか、機能的に「劣等」であるという考え方のみで障がいを規定するのではなく、そういった個々人の状態とそぐわない設計思想によって社会が設計されていることに問題があるのではないか、と考えるのである。

そうであれば、障がいについて考えることは、現在の社会が潜在的に抱える問題点や課題を明らかにすることである。できないことには価値がある、というようなクリシェもあるが、まさに私たちは、障がいを通じて改めて社会のあるべき姿をイメージすることができる。

社会の「正常」を形作るのは、一種の規範の意識であり、それは通常は固定観念として人々の内面に意識されることなく沈んでいる。それに対して、創造性の場においては、むしろ積極的に規範から自由になる。アートを作るということは、「正しい」ものを作るということではない。そこでは「正常」も障がいもありはしない。ただ人がいて、それは皆アーティストだ、といえる。エイブル・アートの試みとは、たとえばそういうものだったといえる。

さらに、そういったアートが地域で展開されることにも大きな意義がある。生活の場に突然大きな窓が開くように、アートが存在することで、私たちの日常に自由と寛容がもたらされる。つまり、共生の感覚が生まれる。たとえば本事例では、CO-OPという生活の中でも最も日々の生活に密着した場所に、アートが置かれる。日常生活における「正常」を形作る規範的な意識がほぐれ、「正常」から外れる存在を緩やかに生活の中に受け入れる共同性が生まれるかもしれない。

そして、この活動に主体的に企業が関わっていることの意義をよく考えたい。企業メセナは必ずしもその活動自体を通じて社会課題そのものを解決する目的でなされる事例ばかりではない(『2024年度メセナ活動実態調査[報告書]』)。むしろ、企業というひとつの主体が、己の意志やポジションを表明し、それを地域の中に位置づけること、さらに、それを通じて主体自身が変容することが目的とされていると考えられる。さて、その時企業がイメージする「地域」とはどういうものだろうか。この事例では、CO-OPの店舗を起点とする生活圏が想定されている。大きな社会や国家を相手にするのではなく、日常的な生活圏を「地域」として選ぶ。この選択にも、明確な意志が表れているといえるだろう。

※某ライター募集案件に提出した課題文。不採用。2025/04