#author("2024-06-30T03:01:52+09:00","","")
#author("2024-08-14T16:20:23+09:00","","")
[[科学]]

* 書誌情報 [#h183c3ae]
W.ハイゼンベルク 著, 湯川秀樹 序, 山崎和夫 訳, 『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話』, みすず書房, 1971→1974/2009

* 読書メモ [#wd914751]
古本買い。
** 2024/05/28 [#s8a5ae50]
- 三章まで。若きハイゼンベルクがいかにして物理学の道に進み始めたかという話。
- 非常に誠実で知的かついきいきとした文章で、自伝文学としてもとても良い。
- 出会いがいかに大事か。

** 2024/05/31 [#ee0f62d6]
- 四章と五章
- なんというか考えるということへの熱量が違う気がする。
- 歩く。
- 有名なアインシュタインとの対話の場面。
- 物理学者としてのハイゼンベルクがいよいよ量子力学へと向かう。
- 深い教養。それに基づく対話。
- 風景描写がよい。豊富な具体性と固有名詞、そしてそれらを一望する高い視線。

** 2024/06/02 [#e90fbc55]
- 第六章
- アインシュタインと量子論。
- ボーアとシュレディンガー。
- 引用。「(クリストフ・コロンブスのアメリカ発見と)同じように、科学における本当の新世界も、ある決定的な箇所において、今までの科学が土台としていたものをはなれて、いわば虚空へ飛び込む覚悟がなければ発見できないものである。」[p.135]

** 2024/06/29 [#b336a72b]
- 第七章~第九章
- とにかく対話。
- 量子力学とその他の学問や、宗教の信仰など、多岐にわたるテーマを話す。
- 著名な学者たち。パウリ、ボーア、ヴェイユ・・・。
- 多少散漫な感じもするが、変に結論めいたものがないのがむしろリアルではある。
- 「英雄時代」。綺羅星の如きビッグネームの若かりし日の思い出。
- とはいえ、書かれているのはハイゼンベルクのある時点での回想である。
- 様々なテーマについてひたすら考え、対話する。

** 2024/08/14 [#n0eedb6b]
- 第十章「量子力学とカント哲学」、第十一章「言葉についての討論」
- 量子力学の知見からカントを批判する、という形ではなく、正しくカントの業績をまとめながら、その限界と現代的な状況について言及するという、インテリな話。
- 「あなたはそれでカントの経験の分析を、すべて破壊しようとおっしゃるのですか。」「いいえ、そんなことは私の見解によれば全然不可能です。カントは、いかにして経験が実際に得られるか、ということを非常に正確に観察したことは確かですし、私は彼の分析は本質的には正しいものと信じています。しかしカントが空間と時間という直観形式と因果性という範疇(カテゴリー)を、経験に対して”先験的”なものとして言い表わしたときに、それらを絶対的なものとすると同時に、それが内容的にもどんな物理理論でも同じ形で現れなくてはならないと主張する危険が生じましたが、相対性理論と量子論とが証明したように、そうではありませんでした。それにもかかわらず、ある面ではカントは完全に正しいのです。」pp.195-196

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