#author("2024-02-08T01:25:35+09:00","","")
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[[人文]]

* 書誌情報 [#w4343887]
高取正男・橋本峰雄, 『宗教以前』, 筑摩書房 (ちくま学芸文庫), 1968/2010

* 読書メモ [#c3710f4e]
古本買い。
** 2023/12/28 [#p47bcc9e]
まえがき
- 引用。「宗教は体験であって、たんに倫理からの要請ではない。信仰は主観的な信念にすぎぬものではなく、客観的実在つまり絶対者とか超越者とかからの呼びかけによって成立する。」[p.9]

** 2024/01/09 [#s3f8a540]
序章――伝統の心情――、忌みの思想
- 民俗学・日本文化史が専門の高取と哲学者・僧侶であった橋本による共著。
-- 国民文化「以前」、宗教「以前」、近代の宗教「以前」
-- 民族宗教という観点
-- とりわけ「いわゆる原始神道、そしてそれと分かちがたく習合し融合した仏教」への注目
- 忌み、穢れについて
-- 女性が忌まれたのはなぜかを、妊娠・出産をめぐる様々な習俗をまとめながら考察する。
-- 資料の図版を見ているだけでなんともいえないため息が出る。
-- 「忌みのエートス」をマックス・ウェーバー的に解釈して、明治日本の近代化と結びつけるなど、様々な言説がダイナミックにより合わせられる。とても興味深い。

** 2024/01/22 [#ib9eb7a6]
仏神の加護
- 日本の原始宗教において偶像崇拝がなかったということは、信仰の対象が特定の場所にあるのではなく、人の生活と不分離であったことを示す。
- そのような原始宗教における信仰が仏教と習合して本地垂迹となる。それを巡る新仏教等、あるいは政治。教権と俗権の妥協。
- <共同体の神>に対する「受動性」、しかし<国家の神>であれば、国境を超えた普遍宗教は生まれない。何に対する受動性か。

** 2024/02/07 [#ee21b701]
神の啓示 途中まで
- 霊媒に関する事実関係から神仏の習合と分業の話へ。

** 2024/03/18 [#d1cb6d97]
神の啓示 ~p.133
- 差し込まれる機能社会学的な解釈がつまらなく見えるが、デュルケームの宗教論は読みたい。
- 啓示と共同体、啓示と回心に関する類型、啓示と新興宗教など、テーマごとに面白い。
-- 啓示は神に対して受動的である。日本の古い宗教は村落共同体を前提とする。したがって共同体が喪失したとされる現代における新興宗教と啓示のあり方は議論の対象となる。
-- 本書執筆の時点(1966頃)で著者は、現代における共同体の喪失は宗教の根本的な前提が成立しないことを意味するので、新興宗教の隆盛はいまが限度であると述べている。その後の日本はどうか。
-- p.125「社会学者デュルケームがなしたように、宗教の対象たる神は実は集団自体、つまり社会そのものであり・・・」


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