#author("2024-04-01T03:08:36+09:00","","") #author("2024-04-01T03:10:43+09:00","","") [[数学]] * 書誌情報 [#o763c334] ファン・デル・ヴェルデン, 加藤明史 訳, 『代数学の歴史 アル・クワリズミからエミー・ネーターへ』, 現代数学社, 1985→1994 * 読書メモ [#ga7a03bf] 古本買い。 ** 2024/01/31 [#m9f2a048] - 少しだけ読む。p.15まで。回教国の数学。 ** 2024/02/05 [#i8d58a2f] - 少しだけ読む。p.23まで。 ** 2024/03/31 [#s6d7e6de] - 第1章終わりまで。 - アル-クワリズミ、タービット・ベン・クッラ、オマル・ハイヤームの三人の回教国の数学者について。 - アル-クワリズミの時代(AD 800年頃)のアラビアでは、ギリシア科学の受け入れのためのギリシア語からアラビア語への翻訳が、ギリシア学派によって進められていたが、アル-クワリズミはギリシアの理論的数学よりも求積法などの「大衆的」数学を取り、ギリシア数学には反抗したとされている。求積法に代表される彼の数学は、売買や貿易、遺産の相続、訴訟、水路の採掘等の「人々の実際の目的と必要に仕える」[p.22]。 - 他方、タービット・ベン・クッラ(836-901)はギリシア学派に属した。二次方程式の解の幾何学的立証は幾何学と代数学の結びつきとして当時新しかった。友愛数についての考察はフェルマ、デカルト、オイラーへと続いた。 - オマル・ハイヤーム(1040-1123)は『ルバイヤート』によって詩人として知られる。代数学を幾何学的方法によって展開した。やはりギリシア数学との緊張関係がある一方で、代数学上の概念をある意味で「哲学的」に思弁する側面もあった。 -- 数学は一見思弁的・観念的なものに思えることもあるが、アル-クワリズミの姿勢についてよく考えないといけない。