#author("2024-07-01T03:04:49+09:00","","") #author("2024-07-03T02:11:27+09:00","","") [[人文]] * 書誌情報 [#d83a7d2d] 互盛央, 『エスの系譜』, 講談社 (講談社学術文庫), 2010/2016 *読書メモ [#we940213] - 副題「沈黙の西洋思想史」 ** 2024/06/29 [#q9830710] - はじめに、プロローグ、第一章途中 (p.40) - ニーチェは「それ (エス) が考える」というフレーズをデカルト批判の文脈で記した。「私が考える、故に私がある」への批判である。 - このニーチェに触発された医師のグロデックが自身の考えとして師のフロイトに伝えたところ、フロイトはそれがニーチェの影響であることを指摘したうえで自身の著作に取り込んだ。 - フロイトとニーチェというとても興味深いテーマ。 - ニーチェの因果性批判の根本に主語である「私」への告発があり、その文脈で「それ (エス) が考える」というフレーズが現れる。 - エスには矛盾律がない。善悪の彼岸。 ** 2024/06/30 [#x88d0a77] - 第二章終わりまで。 - エスの二つの系譜 - 人間はエスに「生きられている」。グロデックのエスの淵源にある「神なる自然 Gottnatur」 - 「非人称の「言われること」を「神が考える」に言い換えることがエスに沈黙を課す方法であり得たデカルトの構え」pp.66-67 - カント、フィヒテ、シェリング - フォイエルバッハ「宗教とは人間の自己自身との分裂である」 - エスの系譜の端緒としてのリヒテンベルク - 政治・歴史と精神の話 ** 2024/07/02 [#i1f4ead9] - 第三章途中まで。 - なぜエスは抑圧されるか。抑圧されたエスはいかにして語るか。 - 自然の物質化と自然の精神化 - ニーチェ『善悪の彼岸』、マッハ『感覚の分析』 - 肉体と精神の区別。フロイトとグロデックの相違 - エスは肉体・身体的なものとの接点から欲動欲求を受け入れ、欲動欲求はそこで心的表現を見出す。 - エスは快原理に支配されていて、自我はそれを現実原理に代えようとする。抑圧。 - 時代精神、集合的無意識